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Misc.Impressions

南京戦の事実を全世界に伝える日本発の映画!!


昨日のエントリーで今年の愚考は終了にしようと思っていましたところ、チャンネル桜の水島総代表が公式メールマガジン(【桜・ニュース・ダイジェスト】)で非常に頼もしく、嬉しい冒頭言を述べられていましたので、以下にほぼ全文を引用し、後で若干の感想を述べることにします(適度に改行してあります)。

年末にあたって  日中情報戦争開戦  水島 総

「生死事大 無常迅速」という禅の言葉がある。今年は、特に時の経つのが早いと感じられた一年だった。同時に、「生死事大」とも強く感じさせられた年だった。色々な素晴らしい人々に出会い、そして別れた。文字通り、一期一会になるだろうと感じた人も数多くいた。

 南京攻略戦の最前線で戦われた九十歳を超える三人の元兵士の方に証言を頂き、番組として放送出来たことも、強い印象として残っている。この皆さんは、南京城の光華門を攻めて、突破し、入城した兵士達だが、いわゆる「南京大虐殺」と言われるものが、全く嘘であり、正々堂々の武勇に満ちた戦いであったこと、同時に、我が帝国陸軍の軍規の厳しさと皇軍として誇りを余すところ無く証言として頂いた。番組収録が終わったとき、その中のお一人が晴れやかな顔で、「これで思い残すことは無くなりました。先に逝った戦友たちにも笑って会えます」と話してくれた。歴史的捏造による屈辱が、現在まで続いていたことが推察できて、胸が詰まった。
今年も、私達日本文化チャンネル桜は、歴史の見直し番組を作り続けてきた。中でも、沖縄渡嘉敷島の集団自決が軍命令ではなかったという新たな決定的証言や、この三人の方の南京証言を放送できたことは、それだけでもチャンネル桜を立ち上げた意義があったと思っている。

しかし、来年一月後半、アイリスチャンの捏造本を基にした「南京大虐殺」映画がハリウッド資本とアメリカオンライン(AOL)の手によって製作され、全米公開される。

 当然、中国の金と諜報活動によって踊らされたアメリカの関係者が製作したのだろうが、これは非常に深刻な意味を持っている。先ず第一点は、アメリカという場所の問題である。この歴史捏造映画がハリウッド資本による全米、あるいは全世界公開(配信)されることによって、南京大虐殺なる歴史の嘘が、全米の人々と全世界の人々の共通認識になることである。中国の情報工作によって、間違った歴史認識と反日意識、そして親中意識が同盟国アメリカ国民の意識の中に定着し、ひいては世界の人々の中にそれが定着することである。
また、これも中国の狙いだろうが、ユダヤ資本が中心と言われるハリウッド映画界とユダヤ人社会に、ナチスのホロコーストと日本の「南京大虐殺」なる嘘が、タブって認識されることである。

 私たち日本と日本人は、中国から情報戦争を公然と宣戦布告されたのである。

 このまま手をこまねいていては、結果として、大東亜戦争を戦われた英霊の皆様の汚名を放置し、黙認することになる。祖霊のおかげで今を生きる私たちが、何もしないのは許されないことだ。

 これまで私たち日本人は、相手側の歴史的な捏造や言いがかりに、沈黙でしか答えてこなかった。アメリカの原爆投下や東京大空襲、ソ連のシベリア抑留、満州侵略の残虐行為等、一切、問題にしてこなかった。  

  しかし、今、歴史的に無かったことを先祖が為したこととして黙認することは、祖国と英霊の皆様への裏切りである。

 この南京映画公開の報道が為されて以来、私はずっと、日本の保守派の皆様の反応を見てきた。しかし、大きな動きは無かった。私はやっと、気づいた。この役目は自分に課せられているのではないかと。私は、長年、映画監督協会や脚本家連盟の会員として、映画やテレビドラマ、ドキュメンタリーを監督、製作して来た。その役割を担うべきは、私だけだったと、ようやく気づいたのである。

 私は一晩考えて、決意した。南京攻略戦の真実を伝える映画を製作しようと。

 中国による歴史捏造を危惧する皆さん、南京戦の事実を全国、全世界に伝える映画を、日本人全員の力で作り上げようではないか。

 この情報の日中戦争を、日本人全員の手で勝ち抜き、我が日本と英霊の名誉と誇りを守り抜こうではないか。

 年末ながら、日本会議やチャンネル桜に集う学者・文化人・ジャーナリストの皆さんにも声をかけ始めた。年明けにあるアメリカでの映画公開にあわせ、私たちも製作記者会見等、本格始動を開始し、そういう情報発信をしていく予定である。

 皆様一人一人の「草莽崛起」の力をお願いしたい。


ここで述べられている南京攻略戦で戦われた元兵士の方々の証言を放送した番組は筆者も録画して視聴しております(三回シリーズでした)。この方々は野村利幸氏(福井県郷友会会長/福井県隊友会顧問)、斉藤敏胤氏(福井県郷友会顧問/福井県隊友会顧問)そして近藤平太夫氏(英霊にこたえる会 福井県本部会長)のお三人です。

内容はすでに上記で水島氏が述べられているように(ちょっと断定口調ですけど)、少なくともお二方(斉藤、近藤両氏)の見た南京戦(上海-南京入城-陥落-徐州進軍)では中共の云う、いわゆる南京大虐殺に相当する残虐行為は無かったことを語っておられました。
無論、歴史検証番組ではありませんので多方面からの分析が為されて、その確度をを図る訳ではありませんし、ましてやほんの一部をもって全体を決定することなど出来ません。
しかし、間違いなく南京戦の当事者が当時を語った証言として貴重なものでした。

お二人の証言で印象に残ったのは、南京市(安全区+城内+城外)の人口の話と便衣兵の存在についてでした。

南京の人口論で虐殺が無かったとか云うと、すぐに飛んでくる輩がいますが筆者はそんなこと言いませんよ(笑)。いわゆる「20万人しかいないところで30万人も殺せるわけがない」の類ですね。このキャッチフレーズは南京市全体の人口が正確にクリアされない今となっては、まぁ言わない方が余計な揚げ足を取られないで済みます。

実際、証言では南京城外(とくに南京市内辺縁部のことを指したと思われる)には可成りの逃げなかった人が民家に隠れていたと証言されてました。これは日本軍の進軍路から離れた村等にいた人達であると思われます。尤も、それらの方々が虐殺されたわけではなく、治安の回復に伴って安全区に戻ってきた結果、人口が増えたのでしょう(ここは推測の様子でした)と仰ってました。また、安全区以外の城内には(少なくとも見た範囲では)誰もいないようだったとも仰っておりました。

また便衣兵についてですが、お二方はそれらしいのを目撃しなかったと証言されてました。
尤も、一見して兵士だと分からないので便衣兵なんですけどね・・・まぁこの辺りからも、お二方の正直な発言であることが分かりますね。
だって、(筆者も含めた)否定派は便衣兵が沢山居たんだと言っているわけですから、それに迎合しようとするのなら「ああ一杯居たよ」と言うでしょう。

筆者の感想では、少なくとも、お二方の所属された部隊(第九師団第十八旅団司令本部付だったと思う)は民間人を含む人間を虐殺したり、略奪行為をしたことなど無かった(物品を購入:官憲徴発)と云うのがよく理解できましたね。
虐殺の定義、捕虜か不規則兵士(非交戦資格者、便衣兵)かの議論を言い出すと、自分でも未だ纏まった考えがあるわけではないので、この辺りで証言のお話については止めておきましょう(随分長くなってしまった・・・)。


このエントリーで言いたかったことは、水島代表が最近の米中合作とも云える歴史歪曲・誇張の喧伝(ブラックプロパガンダ)を憂えて、ついに南京戦の事実を全国、全世界に伝える映画を制作すると宣言してくれたことです。これはホワイトプロパガンダとも云えます。
水島代表が左派や左巻きメディアに色々と言われていることは承知しておりますが、なかなか利益の上がらないTV局を運営し、こうした映画を制作する志(こころざし)を貫くことは並大抵の意志では出来ません。
素直に称賛を送りたいと思います。

これから資金繰りやら不当な妨害やらあるでしょうが、それを承知で敢えて決意されたことは同じ思いを抱く筆者としては非常に嬉しく有り難いことです。もし、寄付の募集でもあったなら、出来る限りの協力を惜しまない予定でおります。

問題は完成後にどれだけの興行幅が確保できるかと云うことでしょうね。あの「プライド 運命の瞬間」や「宣戦布告」を、一体どれだけの人が見たかを考えれば容易に想像がつくことです。
どんなに頑張っても、多分、中共レベルのプロパガンダ規模には及ばないでしょうけど、ほんの少しでも英霊の名誉を守り、回復することができたら十分成功だと思ってます。

中共の加担組織(世界抗日戦争史実維護連合会)は、サンフランシスコのこともあろうに日本町でふざけた記念日を制定しました(南京追悼の日を制定 サンフランシスコ)。
今年だけの限定だそうだが、控え目だったとは云えSF市長までも下らない悪のりをするなと言いたい。
こうやって、加速された中共のブラックプロパガンダは進行していきます。

筆者は不必要に先人達を貶めることに加担したり、見て見ぬふりをすることだけは絶対にやりたくありません。



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雑感三題


今日はちょっとバタバタしてますので詳細な愚考は止めて、気になったニュースの雑感を述べさせていただきます。

最初は少しふざけ気味に・・・
ある政権について、後からいろいろな不祥事が曝かれて糾弾されるのはよくあることですけど、安倍政権もご多分に漏れずですね。
大臣等の人事は首相の専権事項とか云いますが、当然、その前には信頼できる人辺りに相談していることでしょう。問題は安倍総理が信頼している人なんでしょうね(そう、動物園でよく大きな口を開けて欠伸している生き物です)。
何せ、安倍総理があの男を信頼しているといった瞬間に筆者の安倍政権への期待は奈落の底一歩手前くらいまで落ちましたから。まぁ何でもかんでもあの男に責任を転嫁しちゃ駄目ですけど、変なトラップを仕掛けられているようで仕方ないです。

次の餌食は誰でしょうね、ああなるほど、次はこの人ね? 勝谷さん
で、最後の最後に仕掛けた本人が醜聞辺りで自爆?してくれたら、それはそれで結構なことですが、こんな時期に政権がガタガタになるのは北の思うつぼってことで、やはり困りものですね。


方々のブログで騒がれ出した、ネット版?人権擁護法。
これは成文法としてなかなか機能しない「プロバイダー責任制限法」におけるガイドラインを明確化して実機能をより有効にするためのものだそうです。
ネット内では確かに見るに堪えない誹謗・中傷の類は本当に多いので、それらへの規制を強化しようとする動き自体に異論はないのですが、常に問題になるのは判断基準をどのように客観化するかです(匿名の闇、陰湿さ増幅 仙台・ネット掲示板いじめ)。

嫌(人権擁護法案反対派)の人達は、またきっと「この法案を恐れることは馬鹿げている」とか言い出すのでしょうけど、根拠の正当な批判までも抑えたい一部勢力に悪用される可能性が極めて高いものを危惧することは寧ろ当然です。
韓国でも、同様な規制に強く反発している模様です(韓国: インターネット実名制に反発)。まぁこれは左も右もない事柄だと思います。
総務省のマル投げと脳天気ぶりが気になるところですので、この問題は注視していくつもりです。


瀬戸様のサイトでも採り上げておられましたが、確かにこの最高裁には激しい憤りを感じます(旧朝銀破綻処理、公的資金41億円追加投入へ)。
なんで脱税で得た金を同じ税金で、しかも個人に対して穴埋めしてやる必要があると・・・真に理不尽極まりないです。
でも、これが「司法の限界」を指し示すもので、かつ「悪法も、また法である」(時効の存在)を甘受しなければならない法治国家の負の現実なんでしょう。
この案件で責められるべきは最高裁ではなく、脱税を厳格に告発しなかった国税当局です。何を恐れたのかは知りませんけど(大体分かりますが)、国税当局側の完全な怠慢ですね。

そう云えば、先の「百人斬り」訴訟の最高裁での棄却もこれと似た構図です。
客観的に考えれば、責められるべきは被告側による名誉毀損に対して最高裁を納得させるだけの証明を行えなかった弁護側の戦術ミスです。
心情的にはこの事柄も非常に残念な結果ではありますが、ただ許せないと叫ぶだけではなく、上の事例を含めて少し冷静に何処に問題の本質があるのかを考えねばならない時期に来ているような気がします。


これで今年のエントリーは最後になるかもしれません。何か書けそうなときには更新いたしますが、一応のご挨拶を。
今年も一年間、筆者の愚考にお付き合いいただきまして誠に有り難うございました。
来年も引き続きご贔屓いただけましたら幸いです。
皆様、どうか良いお年をお迎え下さい。



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中共の民間組織と歴史認識


69年前の今日、12月13日は支那事変において南京が陥落した日です。
「南京民間抗日戦争史料陳列館」なる展示館がこの日に合わせてオープンするとの記事がありました。

「南京民間抗日戦争史料陳列館」がまもなく開館
・  民間人による「抗日戦争史料陳列館」が開館 南京

以前にも述べたように、筆者は日本軍が行ったとされる南京事件(虐殺)についての素地がないので詳細を語ることも出来ませんし、ある一定の見解を示すこともできません。
ただ、南京事件に関するネット上の議論は方々で見聞きしておりますので、概略として何処が問題点なのかくらいは把握しております。
少なくとも、中共側から発信されるこの事件の詳細に相当な誇張・歪曲・捏造があることは確かなことだと思っております。

ですから、この館に展示されている史料にどの程度の史学的信用性があるのかは当然のこと判断できません。しかし、一つの事実だけははっきり言えることがあります。
ご存じのように中国は中共政府による一党独裁国家です。そのような国家の中にいわゆる民主国家における民間団体(組織)など公的に存在できる道理がありません。これは法輪功への度重なる弾圧を観ても明らかですし、ネット上で反政府用語が禁則されていることからも間接的に分かります。
存在できるとすれば、それは中共政府の意向に沿って統制された民間組織です。
よって、ここに紹介されている「中国民主建国会」なる団体は明白な中共政府公認組織だと云えます。展示内容については?・・・つまりはそういうことです。

別に中共が国内だけで自らを美化した歴史を教えようと広めようと勝手ですが、問題は中共政府がそれを国外に向けて、過度なプロパガンダにしてしまう性質をもった組織であることです。最近、憂国・保守系のブログで盛んにテッド・レオンシス氏が製作している南京映画を危険視するのも、このプロパガンダが歴史を過度に誇張・歪曲している可能性(ブラックプロパガンダ)を指摘するものです。

何せ、以下のことをヌケヌケと宣うお国のことです、ブラックプロパガンダを心配するのは至極当然ことです。日本の国益に関わることですからね。

米国は自国の人権問題を反省すべき(抜粋)

中国は人権保護の面で世界が注目する成果を上げており、中国人民は法に基づいて人権と基本的自由を十分に享有している。これは誰の目にも明白な事実だ。


もう一つ、これはいつも拝読している「反日ワクチン」様のコメント欄で紹介していただいたブログとHPなのですが、そこでは支那事変の体験者がその当時の詳細を述懐しておられます。

茅ヶ崎市傷痍軍人会 ホームページ
大正生まれのおじいちゃんの蛍雪日記(盧溝橋事件の述懐)

この方は傷痍軍人で盧溝橋事件のとき、その場におられた真に当事者中の当事者です。ただ今年の9月以降の更新が無いようなので、ご健康かどうか気になるところです。
盧溝橋事件については詳しく述べませんが、上のリンク先を拝読すると通説にあるような日本軍発砲説を否定するもので、中共謀略説を強く補強している内容です。

そして、この方は陥落後の南京にも入城しておられます。

おやじの独り言」 と云うブログをやっておられるモアイ様のエントリー

おじいちゃんに聞いた話:南京事件
おじいちゃんに聞いた話:南京事件(2)
おじいちゃんに聞いた話:南京事件(3)

これはモアイ様がこの方から直接伺った話をエントリーにされています。
詳しくは読んでいただけば分かりますが、当事者・体験者の語る歴史は非常に素っ気なく、かつ直截的です。そこにリアリティを感じます。
生身の人間が、強く否定も肯定もしないで素直にありのままを語っておられるように感じました。

入城して占領したあと、なんで残った人を殺さねばならんのだ?軍の残党が見つかった場合は別だがね

一番印象に残った言葉です。そう、虐殺と云う非合理な殺人の意図とは何だろう?
筆者が、南京事件の議論を観ていて何時も思うプリミティブな疑問を当事者も疑問に思ったのは何を意味するのか?
重箱の隅を突くのもいいがもっと全体を俯瞰しないと見えてこないものがあるように思います。戦場は疑心暗鬼の塊ですけど、かといって、全てをそういった非合理的な戦時性暴力だけで片付けて良いのかどうか疑問です。

歴史事実は事実として孤高に存在するものですが、それを人間が解釈する段階でどの様な処理が為されるかによって大きく歴史認識は変わります。
このような歴史の当事者の語る言葉を見聞きすることは、それが歴史事実に近いと思われるだけに貴重なのです。

これらを紹介していただきました「おばりん」様にも感謝申し上げます。



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メイドイン自国の意義とは、その他雑感


ユニクロなんかは別として、ある程度、名の通ったそれなりの値段の日本メーカー製品を買っても、タグ等に「Made in CHINA」と書いてあると正直云ってガクッとします。
今時、チャイナ製を避けるような買い物はほぼ不可能に近いのですが、それが一流ブランドものともなると、落胆どころか詐欺にあったような気がすると云うことでしょうか?、それとも、そこにはもっと深い意味があるのかなぁ?

英国の有名ブランドであるバーバリーが安価な労働賃金を理由に製造工場を中国に移転させる計画があるそうですが、これにチャールズ皇太子が異議を唱えているというニュースがありました。

英国有名ブランド・バーバリー、製造拠点中国への移転反対=チャールズ皇太子

空港の免税店でもバーバリーって高いですよね。筆者のもつバーバリー製品はお馴染みタータンチェックのシャツ一枚のみ、いつも良いなぁと思うカバンがあるのですが、手が出ないのでウィンドウから眺めるのみで済ましているのもあったりします。

バーバリーと云えば、イギリス!という自負心なのか、伝統の重み重視なのかはイギリス人ではないので分かりませんけれども、”意地(プライド)が利(プロフィット)に負けちゃ世の中真っ暗闇じゃござんせんか~”なんて感覚なのかもしれません。

しかし、イギリスの皇太子を日本の皇太子に置き換えて考えてみると、幾ら伝統的ブランドだろうとたかが一企業の工場移転に皇族が異議を唱えるなんて現状では有り得ません。

「開かれた皇室」論的にはアリなのか?はその手の人に聞いてみないと分かりませんが、皇室を無理にオープンにする必要性を感じない筆者にとっては、別な視点(伝統の具現者としてのお立場)から「それはちょっと寂しいことではありますね」くらいは発言されても良いんじゃないかとは感じました。
バーバリーの経営者が移転先でのリスクをどう考えているのか?という問題は、まぁ止めておきます。


後はちょっと手短に・・・

女性・無党派つかめ! 民主が「戦略特命チーム」

NHKと同じで、彼らは何が問題なのかを本当は知っていて惚けているのかと思ってましたが、やはりただの馬鹿なのでしょうか。そういう問題じゃないって何回言ったら・・・orz


造反11人自民復党へ 平沼氏は誓約を拒否

この誓約に違反した場合、「政治家としての良心に基づき、議員辞職する」という文言は郵政選挙のときにも公認候補に署名させたらしいのですが、「離党いたします」と書いてないところに自民党の大いなる勘違いが観られます。
小泉系河馬の言いなりになることは、否が応でもその呪縛から抜け出せないことを意味します。平沼氏を除く11人の方々、どうかご自愛下さい。
そして平沼氏、筋を通したのは結構なことですが、もう一歩進んで「離」を選んで欲しかったと思うのは筆者だけではないでしょう。

以下、ちょっとおふざけモードで

テレ朝 ワイドスクランブル、北の工作員お二人様

昨日、昼飯時に見た上の番組で北朝鮮の工作員を発見しました。
まず川村解説(工作)員、
「今回の朝鮮総連強制捜査は復党問題で揺れる自民党の話題そらし」だって言う人もいるという物言いで見事に自分の意見を表明して総連を擁護する涙ぐましい工作、乙!
まぁこの人は以前から筋金入りの工作員様です。

次、女優兼韓国通? 黒田福美氏、
「韓国・朝鮮の人は健康志向の人が多いので・・・(省略)・・・本当に薬として持ち出したのでは?」と、この件に何も関係のない韓国人の健康ブームを採り上げて一般性に逃げつつ、それを明日食うものにさえ困っている北朝鮮の人々にまで拡張する気合いの入った工作、乙!です。明日をも知れない命の人々にヘルシーブームとは恐れ入りました。
この人も川村工作員には格では負けますが、十分に有望格の工作員様です。

まさしく、この時期に一体、テレ(テロ)朝は何を考えているのやら、非常に気の重くなった昼飯時でした。



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本物の”専門ばか”とは


昨日の教基法改正案衆院通過に虐め、未履修問題と今、良い悪いは抜きにして教育問題が非常に熱いわけですが、今日はちょっと違う視点から教育について考えてみたいと思います。

1991年に亡くなった本田宗一郎氏の生誕100年を記念して、その功績を称えるイベントが開催されたそうです。筆者などは本田さんというと、あの名車「スーパーカブ」を思い出すわけです。
筆者が初めて運転という行為をしたのを手伝ってくれたのはスーパーカブでした。その昔、高校生の頃に新聞配達をしていた友人に早朝、何度も乗っけてもらったことを今でもよく思い出します(スイマセン、未だ無免許でした)。
スーパーカブは現在でもよく売れています。リンク(スーパーカブ)先を見ますと、一車種で販売台数が5000万台を越えたのはこの車が初めてだそうです。
「オッサンバイク」なんて云われてお世辞にも格好良い車ではありませんが、よく売れている理由はやはり、半端じゃない経済性の高さとモノ保ちの良さでしょう。
言い換えれば、車の原点といいましょうか、最も基本に忠実な車なんだと思うわけです。だからこそ50年近くも売れ続けているのでしょうね。
良いものはいつまでも残っていく・・・まさに何か大事なことを示唆してますね。

前置きが長くなってしまいましたが、そんな、云ってみればごく普通の車を作った本田氏は至極、普通ではない並外れた才能の持ち主だったことが改めて分かります。
これは以下の記事の抜粋にもありますように、本田氏が”生粋の専門ばか”だったからだと、筆者などは強く感ずる次第です。

本田宗一郎氏生誕100周年 偉人の功績、後世に

本田宗一郎氏のモノづくりにかける情熱と経営手腕は松下電器産業創業者の松下幸之助氏と並び称され、本田氏らの技術型経営者がいたからこそ日本経済の発展があった。
また、本田氏は日本人として初めて米国の自動車殿堂入りを果たすなど、日本の自動車産業発展の牽引(けんいん)役も果たしてきた。
「やってみもせんで何がわかる」が口癖で、工場に出向いては従業員とともに油まみれになることもしばしば。勳一等瑞宝章の授章式の際には、「技術者の正装は白いつなぎ(作業着)だ」と言い放ち、作業着姿で出席しようとしたのを夫人に止められて礼服に着替えたというエピソードがあるほど、根っからの技術者だった。


ちょっと前のエントリーにも、この”専門ばか”について少し触れたのですが、昔はさておき、現在ではこの言葉を余り良い意味では発しなくなりました。それは一言で云えば、「視点の狭さ」が付き纏うからでしょう。
確かに、筆者のような中途半端な専門ばかですと、「視点の狭さ」という観点がそのまま当て嵌まってしまいます。しかしながら、本田氏のような、謂わば達人の域に達した”専門ばか”ともなりますと、それは大概において一致することは無いと思います。

よく云われることなのかもしれませんが、物事(専門)を極めた方というのは、その専門を通じて”ものの道理”を体得した方だと言い換えることが可能だと思います。
余り壮大なことを言うのも何ですし、元々こういったものは体得するものなので定義すべき事ではないのかもしれません。がしかし、敢えて表現すれば、”ものの道理”とは森羅万象の原理・原則であって、全てに適用できる通則のようなものなのでしょう。
そう、別な表現では”物事の本質を見抜く力”とでも申しましょうか。

ですから、”本物の専門ばか”は決して、世の中を”狭い視点”で捉えたりすることはありません。そうした”ものの道理”を弁えていたからこそ、本田氏は「ごく普通」の、翻って「最も優れた」名車を世に多く送り出すことが出来たのだと推察いたします。
基本に忠実な「ごく普通」のモノや考え方というのは誰でも考えつくようでいて、それを具現化することは最も実現し難いことだ、というのは昨今のおかしな社会情勢を観れば明らかですね。



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時事一言雑感


今日はちょっと頭が回らないので(いつもだが)、時事ニュースについての一言?雑感でお茶を濁させていただきます。引用ばかりで読みにくいかもしれませんが、ご勘弁を。

11月16日付・読売社説 [衆院採決]「野党の反対理由はこじつけだ」(抜粋)
民主党が国会に提出している対案は、愛国心や公共心の育成を掲げ、家庭教育の条文を設けている。政府案と本質的な差はない。むしろ愛国心の表現は「民主党案が優れている」と評価する声が自民党内にさえあったほどだ。
法案の中身が似通うのは、子どもの規範意識を高め、家庭の役割を重視することが、いじめなど学校現場が抱える課題の改善にも資する、との思いを共有するからだろう。
民主党が、いじめ自殺などを「改正案の中身にかかわる」と本気で思うなら、与党に法案修正の協議を持ちかけるのが筋だ。

いや、全く仰るとおり。結構まともな案をもちながら、何故、「カルトフィルターのかかった自民案など、生ぬるいわ! 修正に応じろ!!」と言わなかった?
それを言わ(え)ないところに、手遅れなほどにプロシミン化してしまった民巣党の病巣があるのでしょう。
手術をやるのなら是非、開頭(解党)左脳分離(追放)施術でお願いします、その後は勿論、政界再編って事で一挙両得と相成ります。


教育基本法:衆院特別委の単独採決に日教組が抗議声明(抜粋)
子ども不在の議論が政治家や与党の都合だけで進んだ」と抗議表明した。
また、教育基本法の改正案が教育は法令に基づき行われることを明記した点を「政府による(教育現場の)上意下達を正当化するもの」と批判。
「議論が拙速」県内教諭ら反響 教育基本法改正案(抜粋)
下伊那郡天龍村の学校法人理事長、中野昌俊さん(63)は1970年代の米国留学時、米国人の愛国心の強さに驚いた。一方、自身も「日本を外から客観的に見て、好きになった」経験を踏まえ、「国が良ければ、愛する気持ちは自然とわく。法で決めるものではない」と主張。改正は、教育分野への法や行政の深入りを強めるようにも思え、「教育がますます息苦しいものにならないか」と危惧(きぐ)する。
信大教育学部4年の男子学生(24)は、改正案に盛り込まれた「公共の精神」「わが国と郷土を愛する」などの言葉に、「国民を統制するような国づくりへ動く印象を受ける」。


「子ども不在」で手前勝手な偏向思想を植え付けてきたのはどっちなんでしょうか?
そもそも、教基法を改正せざるを得なくなったのはアンタ等が長年に渡って行ってきた狂育のせい、これは「意図しないマッチポンプ」と呼べるのではないかな。
勝手にやってろ!としか言いようがない。

「愛国心」->「法で決めるものではない」
「公の精神」->「国民を統制」
いつものテンプレート、有り難うございます。これくらいしか言い訳が思いつかない貧弱な脳構造に乾杯。
そこで、学校法人理事長、中野昌俊さんと信大教育学部4年の男子学生さんに質問。
「国が良ければ・・・」の”良い”とは何を基準にしているのか?、そして男子学生さん、貴方はアナーキストですか?
色々と論点をすり替えて回答をはぐらかすに3000点。



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日本の保守派にとって楽観視など出来ない周辺事情


昨今のネット世論の台頭、そして何と云っても北朝鮮による拉致犯罪が日本人にあるオリジンな精神性(DNA)を目覚めさせつつあることは確かなことです。それは筆者も参加している人気ブログランキングの上位をほぼ保守系ブログが占有していることからも容易に推察できます。

とはいっても、戦後60年間の間に培われてしまった左派思想は可成り歪んだ形で殆ど全てのフィールドに渡って根を張るようにパラダイムを形成してますので、それを引き剥がすことは容易なことではありません。
とくに、マスメディアの偏向性や世論誘導能力は、保守系ブログでの常識をたちまち世間一般での非常識に変身させ、時には「こうした考え方はやはり間違っているのではないか?」との誤認識を生じさせるくらいにほぼ完璧に機能しています。
ですから、筆者などもよく「こんなブログ続けてもただの自己満足ではないのか?」と厭世的気分になります(元が楽天的性格なので、すぐに持ち直しますが)。

それでも、そうしたネガティブ事象を筆者にとってポジティブな駆動力に変えてくれるのが他国や左巻きな人々のこれまたネガティブな行動だったりします。
ネガティブな行動といっても、それが国の場合は国益が基準となりますので、そこに観念的な善・悪という判断基準が入る余地は殆どありません。わが国の国益にとって適当なのか、そうではないのか、だけが行動を支配する悲しい論理なのです。
従って、わが国と出来るだけ価値観を共有できる国との外交関係は国益上、非常に重要です。



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中川(酒)さん、虐めに負けるな


いまや中川昭一政調会長は物言わぬ(”言えぬ”かどうかは分からない)安倍総理に代わって真正保守系のスピーカー役を一手に引き受けてくれているわけですが、一応は志を同じくしているはずの仲間からも梯子を外されかけています。
二階なんて云う中共の犬の発言なんかはどうでも良いのですけど、世の良識とやらからの逸脱を怖れた政治屋たちの保身に中川さんが潰されないか(多分、大丈夫だと思いますが)憂慮しています。

時同じくして「いじめ」が論議の俎上に上ることが多くなりました。理不尽な理由で不当な批判を受けることを「いじめ」と定義するのなら、中川さんも明らかな「いじめ」を受けてますね。
理想として核兵器を否定すること自体に異論はありません。しかし、現実論として核兵器を持つ無法者集団である北朝鮮や覇権国家である中共の脅威をどの様に抑止するかと云った対抗策の議論を封殺するのはどう観ても「いじめ」です。
おそらく、「いじめをしている」側はその根本である「非核三原則」の一角(核を持ち込ませない)が崩れることを懸念してヒステリックに「いじめ」を行っているのでしょうが、逆に云えば、こうした議論によって「ただ否定だけをする論理」の欺瞞性が曝かれるのがきっと恐いからでしょう。これは世に云う「平和原理教」や「人権原理教」信者達にも通じる大いなる勘違いだと思います。
議論を封殺することが、正義や良識など通じない無法者達に絶好のフリーハンドを与えてしまうことに何故?気付かないのでしょうか。それを知っててワザと「いじめ」をしている二階などはもっと質が悪いことになりますが・・・

さて、「いじめ」を監視して適切な措置を講ずる責任のある校長先生である安倍総理は一応、中川発言を問題なしと言っているようです。
しかし、どうせ援護射撃するのなら「非核三原則」堅持に言及するのではなく、「我々は国防議論に関して一切のタブーを設けない」くらいの力強い助言が欲しかったですね。
未だに左翼的思考が世間様の良識であるかのように喧伝するマスコミなんかに振り回されない政治をやってくれるのはいつになるのでしょうか?
安倍総理にそれができるのか、できないのか、未だに筆者にはその判断が出来ませんが、現実、とくに北朝鮮情勢は刻々と余り宜しくない状況へと変化しています。
まずは、北の間抜けな妄言を壮快に蹴飛ばすためにも核論議よりも効果の大きい「平壌宣言」の破棄をご決断下さい。


「いじめ」の話しにリンクさせた手前、最後に少し愚考をば。
筆者は「いじめ」に関して、今の被害者のケアを優先した議論は本質ではないと思っています。それよりも、「いじめをやる」側への糾弾度を上げた方が「いじめ」を抑止する効果的な議論になるのではないかと思います。これは少年犯罪被害についても云えることなのですが、(いじめをする)加害者側の人権を大幅に削ってでも彼らを晒し者にして、如何に「いじめ」とは卑怯な行為なのかを体感させる必要があるでしょう。それが被害者の人権を尊重することに繋がるのです。
そのためには現場監督である校長の権限をその責任と共に強化させ、担当教師と被害者との連携を図りながら、円滑に加害者摘発をしなければなりません。
無論、それが「いじめ」かどうかの判断には最大限の慎重さが求められます。そうでないと、正当な批判までもが封殺され、違った意味での言論弾圧に発展しかねません。
実を云うと、そこが一番難しいところなのだと思いますが、少なくともミソは「悪いことをした奴を曝し、相当の罰を与える」ことです。
過激なようですが、ヘンテコな人権原理主義を基本にしていたのでは「いじめ」も少年の凶悪犯罪も減りません。こういった問題はすでに対症療法ではなく、根治治療が求められていることを認識するべきです。


中川昭氏、核議論発言の真意は? 身内から封殺、悲壮感
北新聞「日、過去の清算延ばすほど罪が大きくなる」



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明日15日より2週間程度,海外出張のためブログの更新を休ませていただきます.なるべく早く復帰したいとは思っておりますが,暫しの間,お許し願いたいと思います.

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「もののふのこころ」管理人,kousotsudr 拝



靖国神社に関する麻生私案について


先日より色々と誤解釈を受けたとされる麻生外相による靖国私案「靖国に弥栄(いやさか)あれ」が正式にHPに発表されました。
これに関する詳細は”てっく”さん辺りが正確な分析をしていただけることでしょうから,筆者は一点についてのみ感想を述べてみたいと思います。
結局のところ,麻生さんもやはり良くも悪くもリアルな政治家だなという印象です。どういうことかと云うと,決して「政教分離原則」の解釈にイチャモンつけないんですよね。そしてそれから逃げようとする。麻生さんなら,その辺りのことに突っ込んで欲しかったなぁと。

現宮司の南部氏が「靖国はいずれ国にお返しするもの」と言われているそうですが,これが何を意味するのか,よく理解しなければならないと思います。靖国神社は戦後,宗教法人に謂わば”いやいや”なったのですよね。そうでなかったら原形は存続できなかった。確かに,戦後61年の間に様々なものの価値観は変わりましたが,靖国本来の精神は変わるはずもありません。であるならば,”国へ返すという行為”は戦前と変わらぬ靖国神社の精神が担保されてなければならないと思います。
南部宮司が単純に現状の法解釈における「国家」にお返しするという認識であるのなら,麻生私案や中川秀直案のどちらでも実現する可能性はあるでしょう。しかし,筆者は南部宮司がそのような意味合いで発言したとは考えてません。
南部宮司の2代前の松平宮司は何度も引用して恐縮ですが,”誰が御霊(みたま)を汚したのか”の中で次の宮司への申し送りとして以下のことを固持するようにと仰いました。
靖國神社というのは決して平穏な神社ではありません。政治的に非常に圧力のかかる神社です。それは左からの圧力だけではなく、そうでないところからもかかってくる。一見〃愛国〃〃憂国〃を装った形でもかかってくる。だから、ともかく権力に迎合したらいけない、権力に屈伏したら、ご創建以来の純粋性が目茶苦茶になってしまう。権力の圧力を蹴とばして、切りまくる勇気をもたないといけない、ということを、次の宮司への一番の申し送りにいたしました。

「富田メモ」騒動に起因して,ある方向では松平元宮司と先帝陛下との間に合祀に関する齟齬があったのでは?とする説があるようですが,上記を読む限り,少なくとも筆者は陛下の御心に背いたような考えを松平氏がもって行動したようには思えませんでした。
それで,”ご創建以来の純粋性”とは何を指すかと云うことになりますが,これは同文の上の方に答えがあります。
もう一つ、宮司になった以上は、命がけで神社を御創建の趣旨に違わず、また本来の姿で守ろうと決意したのです。
断じて譲れないことが三点あります。
まず、日本の伝統の神道による祭式で御霊をお慰めする。これが一つです。
第二に、神社のたたずまいを絶対に変えない。われわれは「靖國で会おう」「靖國の桜の下で再会しよう」と誓い合って戦地に赴いたのです。そのときのお社の姿、現在の姿ですが、これを変えるわけにはいかない。たとえ何百億円寄進するから日光束照宮のような壮麗華美な社殿にしてくれといわれても、絶対に肯けない。
このたび、御本殿も全解体修理しましたが、私が固く言い渡しましたのは、これは「改修」ではない、「修築」なんだと。板の一枚、柱の一本にいたるまで砂擦(すなず)りをして綺麗にしてもらっては困る。布で洗うだけにしてほしいと。御創建以来、百数十年経っていますので、雨漏りで腐ったようなところが多少はある。そこだけ新しい部材を補充し、大部分は御創建当時の材料でガタの生じた所を締めつけて再建したわけです。御本殿と回廊と拝殿は神社の重要部分、中心部分です。この姿はどうあっても変えない、それが第二の決心でした。
第三に、社名を変えない。当り前だと思われるかもしれませんが、「靖國廟」にしろという意見も以前からあったんですね。しかし初めは招魂社、明治十二年に明治天皇様の思召によって「別格官幣社 靖國神社」となった。この社名はどんなことがあっても変えられない。そういう方針で臨んだわけでございますが、就任早々、「国家護待」反対を唱えたのと、いわゆるA級戦犯を合祀したので、大変な攻撃を受けることになりました。


この三つのうち,第一と第三は重要でしょう。とくに第一の「日本の伝統の神道による祭式で御霊をお慰めする。」は絶対に外せないでしょうね。
これらのことは松平→湯澤前宮司と申し送りされてきているはずなので,当然,現宮司である南部宮司はこれを尊重されることでしょう。この仮定が成り立つとすれば,基本的には”非宗教法人化案”は靖国本来の意にそぐわないことになります。
麻生私案も基本的には”非宗教法人化案”になろうかと思いますのでアウトです。麻生氏は宗教法人としての靖国を自主解散させた後,どのようにして神道形式による祭式を行わせるようにするのでしょうか。どうも移行過程において「設置法」を作って特殊法人化させ,その「設置法」によって「宗教行為」を「伝統行為」と見なして逃げ切るつもりのようです。
神道は日本伝統の慣習でもあると言い換えはできますが,やはり宗教行為という枠から解放されるわけでもないように思います。国立の非宗教追悼(慰霊)施設案などは論外なのですが,筆者はそもそも亡くなった方々への追悼・慰霊行為というのは宗教行為以外の何者でもないと思っていますので,靖国の全ての祭式を伝統行為に振り替えるには可成り抵抗があります。要するに,これは「政教分離原則」の限外解釈でしかないと考えます。
また,それに靖国側が積極的に応ずることは難しいのではないでしょうか。第一,説得すると云っても,この行為自体が大きな政治介入なってしまう恐れもあるわけで,そのように見せないためにはスムーズで自然な流れを作ることが優先されるべきです。そのためには靖国側の大原則を第一義とするのが最も確かな方法でしょう。

やはり,ここは正攻法でいって欲しい。靖国神社としての望みが国家護持に行き着くとすれば,この「政教分離原則」自体の解釈を根本から改めることだと思います。できることなら神道を国教に定めて欲しいところですが,それができないとしても,靖国における祭式一式を「政教分離原則」に従わなくとも良いとする国家唯一の特例的措置を成立させていただきたいと考えます。この互が外れさいすれば,天皇陛下のご親拝が公的だの私的だのといった下らない議論からも解放されます。
今の風潮はできもしない分祀論などで盛り上がるレベルですから麻生私案にしろ,上記にしろ,達成までの困難さにおいては同じことでしょう。とすれば,靖国の本質に依拠した真摯な議論と措置を行うべきだと思います。中途半端な法解釈は余計に後に遺恨を残し,また(中・韓のような)外野からの干渉も新たに作り出してしまう可能性だってあります。それゆえの正攻法なのです。
今はこうした素地を作るためにも,国家の最高責任者は中・韓の批判など何処吹く風で素通りし,できもしない分祀論などにも耳を貸さず,堂々と靖国に慰霊へと向かうだけ良いのではないでしょうか。

昨年,麻生氏は外相就任時に以下のことを言ってます。

普通にお参りします。韓国や中国にいくら言われても、泰然自若としていればいい。彼らが『これ以上、この問題を言い立ててもしょうがない』と悟って、自然に丸く収まるのが、一番理想的な形でしょう


麻生さんはこの気持ちを忘れないでいただきたいと思います。泰然自若として靖国への道を造る,筆者はこれが何よりの近道だと思いますよ。



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