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アーカイブ: 2006/08/20

広島・校長自殺の公務災害認定


1999年に広島県立世羅高校の校長が自殺した事件は,その後の国旗・国歌法成立の契機になったものでした。
今回,この自殺が「公務災害」と認定され,まさに「公務中の殉職」として取り扱われることは至極当然のことです。それと同時に,校長を死に追いやった勢力が教育基本法10条に定めるところの「不当な支配」を地でいくような連中であることの証明が為されたと云っても過言ではないと思います。以下,産経の主張を引用します。
広島の校長自殺 組合に改めて猛省求める

 7年前、国旗・国歌問題をめぐり広島県の校長が自殺したケースが、公務災害と認定された。「校長が学校運営上の課題で苦悩していた」と判断されたためだ。当然の決定である。
 この事件は広島県立世羅高校の卒業式の前日に起き、校長は「何が正しいのか分からない。自分の選ぶ道がどこにもない」との遺書を残した。同県教委の調査や国会での参考人質疑によれば、校長は連日連夜、国歌斉唱の中止を求める日教組傘下の同県高教組や部落解放同盟同県連合会などとの交渉に追われていた。校長がこれらの執拗(しつよう)な抵抗に悩んでいたことは明らかだ。
 今回の公務災害認定について、同県高教組委員長は「遺族の悲しみは何年たっても癒えることはないと思うが、一つの救いになればと思う」と人ごとのように話している。自ら厳しく反省してもらわなければ困る。
 広島県では3年前にも、尾道市の小学校の民間人校長が自殺した。この民間人校長も、国旗・国歌問題で日教組傘下の同県教職員組合(広教組)に所属する教職員の非協力的な態度に悩んでいた。このような悲劇を二度と繰り返してはならない。 
校長が教職員組合の抵抗に悩むケースは、広島県に限らない。埼玉県立所沢高校で8年前、日教組とは別組織の組合に所属する教師や生徒会が校長主催の卒業式をボイコットした。6年前には、東京都国立市の小学校で、過激な教師の影響を受けた児童が、卒業式に国旗を揚げた校長に土下座謝罪を求める事件が起きた。
 こうした教育現場における多くの不適切な事例を受け、文部科学省や各自治体の教育委員会が是正指導を行った結果、現在は、曲がりなりにも学校教育が正常化に向かっている。国旗国歌法は、7年前の広島県の校長自殺をきっかけに制定されたものだ。校長の権限が強化され、職員会議が最高意思決定機関でないことも徹底されつつある。この流れを大切にしたい。 
単に、教育現場の混乱を回避するためだけなら、校長が組合に歩み寄るという姑息(こそく)な方法もあるかもしれない。だが、そうした組合主導の教育の犠牲になるのは子供たちだ。組合の理不尽な要求には屈しないという校長の強い意志と指導力が求められる。

日教組は,この10条の文言を逆手にとって行政側を国旗・国歌を強制する不当な支配勢力として今も飽きもせずに批判しております。日教組は記事にもあるように,「一つの救いになれば・・・」などと恥知らずな発言をしていることからも,彼らに自らが不当な支配勢力であるとの認識は無いのでしょう。
日教組だけでなく,部落解放同盟(解同)の糾弾も酷いものであったと聞きます。解同による介入のきっかけは広島県の八者による「懇談会合意文書」(1985年)に同団体が入っていたことだったそうです。しかも,その文書には「差別事件の解決に当たっては,関係団体とも連携し」との文言があり,それを口実にとても差別事件とは思えない卒業式のあり方にまで不当介入させてしまったことになります。
卒業式において,国旗を掲げ国歌を唄うことは国民(卒業生)としての最低の義務です。教員にはさらに業務規則を遂行する義務も加わります。こうした義務を強制という言葉にすり替えて個人の自由意志を主張するやり方は実に姑息だと思います。

教育基本法の改正問題で,同10条は16条になり,「教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」から「教育は,不当な支配に服することなく,この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである。」に最終的に変更されました。
「不当な支配に服することなく」が削除されることが最も好ましかったわけですが,取り敢えずは不当な支配を法律で縛ることが明記された形となったことで妥協を余儀なくされています。まぁ左巻き勢力もこれに相当抵抗感を示しているようですから,良しとするしかないのでしょう。
また以前に東京都の校長の権限強化についてエントリーしたことがありましたが,校長の独裁を招くという危惧があるとは云え,これもこうした事件を防ぐ対策の一つでしょうね。

記事にはありませんでしたが,本来ならば,糾弾した側と同時に校長を守らねばならない行政側の対応にも言及しなければなりません。行政側は日教組や解同を必要以上に恐れてはいなかったか,また事勿れに陥っていなかったかどうかです。広島県は全国の中でも,未だに訳の分からない「人権教育」等を重点的にやっている地域と聞きますが,それが上の事件の温床になっているのなら何の教訓も得ていないことになります。事実,記事後半にもあるように,近年でも同様な事件は起きているわけですから行政側にも根本的な意識改革が必要でしょうね。

最近では天下の日教組も昔ほどの威光がなく,組織率の低下と相まって教員全体への影響が小さくなっていると云われてます。ですから,最近の教育の荒廃は特段,日教組教育のせいではないという人がいます。
ですが,よく考えてみると,現教員の年齢からいって彼らの思想的バックボーンはまさに日教組教育華やかしき頃と同期しています。つまり,彼らは既に日教組教育によって同化された人間ですから,何も目立って組織的に行動する必要も無しに子供達をその思想によって感化できると云うことではないでしょうか。結局,同じことだと思います。

左巻き勢力は政治の分野では激減しておりますが,教育分野(アカデミズム)の思想はまだまだリベラル左翼に乗っ取られてるのが現状です。これを政治の側から排除していくのには非常に長い時間がかかります。
上に挙げた事柄も,非常に微々たるものですが教育正常化への布石として歓迎すべきことでしょう。


参考URL
恐怖と無法の広島公教育界 H11.11.20 国際派日本人養成講座
広島県立世羅高校校長の自殺の真相
なめ猫 様-”公務災害と認定された広島県世羅高校長自殺
Independence JAPAN 様-”広島の校長自殺、労災認められる



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